物語の面白さ 2023/07/17

オタ活

私は、物語に浸るのが好きだ。それは私の根本的ななにかであり、個性の一つだと自認している。
小学校の時から読書はとにかく大好きだった。自分で言うのもおかしな話だが、学校一の読書家だったのは……校内で読了本の冊数を競う大会で何度も優勝していたから確かな話だ。そんな私が、小4ぐらいから狂ったように本を読むことがなくなった。
夢小説に出会ったからだ。狂気的に、毎日毎日何十作と長編ものを読み漁り、毎日毎日新しい短編集を発掘した。
狂ったように日夜夢小説を読み続けた。そんな日々が中2頃まで続いた。

中3で聖闘士星矢と銀牙に再燃した。そこからだった、大変な日々が始まったのは。
古い作品だからかなんなのか、あまり二次創作を見かけなくなった。
あんなに降り注ぐ滝水のようにあった夢小説という供給は、聖闘士星矢や銀牙界隈において途絶えてしまったのだ。
生きがいと言っても過言ではないほどに夢小説に依存していた私にとって、供給が途絶えるというのは第二の生命が死んだも同然だった。
そこからだ、面白い変化があったのは。
夢小説が嗜めなくなった私は、前よりも原作を丁寧に楽しむようになった。
何度も同じシーンを流して、何度も何度も同じセリフを聞いた。

今まで夢小説を読んでいた時間、その全てを公式に使うようになった。

そうなると、だ。
今までは気づかなかった推しの魅力に気づいた。推しの言いようもない魅力の沼にぬるぬると嵌っていった。
数作しかない解釈違いの夢小説を読み漁るより、公式の推しを愛す方が沼だった。
そこから、私は夢小説を積極的に読めなくなった。
前の私なら推しの夢小説があれば手放しで飛びついて、餓鬼かのように貪りついていた。そうだったはずなのに、私は変わってしまったのだ。
公式の推しを愛するあまり、二次創作の…人の妄想を詰め込んだ偽物を……愛せなくなった。
供給の多い作品にハマったときも、夢小説を心の底からは楽しめなくなっていた。
物によっては楽しめるものもある。キャラ崩壊がとにかく少なく、口調も完璧、推しの魅力がわかりやすく描かれているような作品だ。
でも、そんな神作品がこの世にどれほどあるだろう?
自分で書いた妄想すら、「あの人はこんなこと言わない!!」と納得できなくなってしまった私が満足できる夢小説はこの世にいくつある??

解釈違いに困り果ててしまった私は、一時的に夢小説から離れた。

そこで勉強なり、V活なりに力を入れて、夢小説から離れていたわけだが……やっぱり小説を読まない生活には耐えられない、活字中毒と言っても過言じゃないかもしれない。
そこで図書館で数冊借りてみたら、ほれ見てみろドハマりだ。解釈だのなんだの関係ない、一次創作は純粋に物語を楽しめる。
一つの世界に入り込み、疑似体験できる感覚。私の大好きだった物語を読む感覚。
夢小説を読んで満足していたから忘れていた、物語の世界に私は舞い戻った。
今は文章を書くことが楽しくて仕方ない。
小説を読み漁って、感想を書きまくりたい気分。

私はやっぱり物語が好きだ!

思えば、私は名前変換機能が無くとも……疑似体験をできる才能を持っていたのだった。
小学生の頃、その才能のせいでひとつやらかしたことがあったのを思い出した。
あれは、ある日の朝読書の時間。無我夢中でページをめくっていた私は、周りの音が聞こえず、物語の世界に完全に入り込んでいた。昔から集中すると周りが見えなくなることがあったが、それがあの時も起きていた。物語が一段落つき、そろっとやめようかなとフ…と首を上に上げると、クラスメイトがすでに起立していて皆訝しげにこちらを見ていた。「なに、どうしたの?」と不思議に思い尋ねてみれば、「こっちこそ聞きたいよ! 朝の会だよ、号令かかったの!!」と口々に言われた。そんなことが起きてしまったのは、物語に没頭すると現実が意識から抜け落ちてしまう私の才能が原因だったのだ。あの時、私は物語の中でジャングルを冒険していたし、生い茂る葉っぱの青臭さをしっかりと感じていた。
名前変換機能なんざなくたって、私は十分主人公気分を味わえていたのだ。

だから、
自分の夢女子力が上がって、納得行く妄想を書き留められるようになるか、
素晴らしい夢小説作家さんに出会うまでは、
まったりと一次創作の物語でも楽しもうと思う。
それはそれでありだなぁ、と思ったのであった。

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